ダリル・ホールさんこんにちは!

なんとなくテレビをつけていたら、NHKで「SONGS」というのをやっていました。音楽家の人生に焦点を当てて、楽曲の変遷とともに紹介する番組です。

この番組自体はまあまあ好きで、よく見るのですが、今日は「ダリル・ホール」という、アメリカのシンガーの話でした。





私は人生このかたロックにほとんど興味を示したことがなく、名前くらいしか知りませんでした。

私が自分から音楽を聴くようになった中学、高校の頃、友達はみんなそれなりにロック好きだったんですよ。流行っていたんですね。そんな中で、私はなぜかアイドル歌手オンリーで、松田聖子中森明菜河合奈保子のレコードを買って喜んでいました。アイドル歌手の曲も馬鹿にしたものではないと思うのですが、好きだと言うとよく馬鹿にされましたね。確かに歌唱力という意味では話にならないかもしれないんですが、曲そのものはとてもいいのがたくさんあるのです。

でも、私はロックに関しては、明確に「嫌って」いました。

私と仲の悪かった一番上の兄がロックにのめり込んでギターにのめり込みバンド組んでたりしたので、エレキギターの練習などしていると「うっるさいなあ」とイライラしたものです。あと、両親もロックはかなり嫌いでした。そういうのがいろいろからみあって、「ロックは悪魔の音楽だ」くらいな嫌悪感が出来上がって行ったのかなと、今はそう思います。




で、今日そのSONGSに出ていたダリル・ホールという歌手は、ソウル・ミュージックの人だそうで、私はソウル・ミュージックがどういうものかも知りませんし、ダリル・ホール以外にどういう歌手がアメリカにいるのかほとんど知りません。私が知っているクラシック以外の外国の歌手といったら、オリビア・ニュートンジョンとカーペンターズくらい。なにも知らないので、ダリル・ホールが特別なのか普通なのか全く知りません。でも、初めて聴いたその曲と映像からは、ものすごいパワーを感じました。それが快か不快かとか陰か陽かはいろいろあるけれど、とにかくいろいろ入り混じった強いパワーがみなぎっていました。

日本の歌手で、今でも好きでよく聴く歌手はいます。小田和正辛島美登里広瀬香美、安全地帯、ちょっと古いのばかりだな。今でもみんな好きです。でも、ダリル・ホールの映像から受けるようなパワーを感じたことはありません。「パワー」なんだよね。日本人のシンガーとは魅力の種類が全然違うんだ、たぶん。

まあダリル・ホールに限った場合にどれくらい流行したのかは知りませんが、ロックというものがあれだけ流行していたのは、ちゃんとわけがあるんだなという気がしました。

私は昔からあまのじゃくなところもあるので、流行の逆を行く癖みたいなものもあったのかもしれませんが、今思えば、もっと自然体にくもりのない目で見て感じていればよかったかな、と思ったりしました。





じゃあ、当時私が好きだったアイドル歌手の曲を聴いていた時間が無駄だったんかということになりますが。

あれはあれで、たぶん当時の私に必要な音楽だったんだろう、と思っています。
定期試験前の夜更かし勉強の合間に深夜ラジオをつけて聴いていた音楽番組、毎週のランキングに一喜一憂していました。ひいきの歌手が上位になると嬉しかったなあ。滋賀県のスキー場で松田聖子がかかっていて、それ以来スキー場といえば松田聖子みたいなイメージまで勝手に出来上がりました。

アイドル歌手というのは、もしかしたらプロデューサーやマスコミが作り上げた幻像にすぎないものだったかもしれません。でも、曲そのものは今聴いても良い感じの旋律です。アイドルのイメージに癒されていたというのは大きかったと思う。いろいろ悩み多き時期でもあったし。




本物の音楽はやっぱり、心の中から湧き出るものがあって、それが言葉にならなかったり、言葉だけで足りなかったりしたときに、そこに旋律とリズムが加わって聴く人の心に届くものになるのだと思う。だから、そういう音楽を聴くと、その人の心の中や人生体験がまるで自分のことのように伝わってきて、自分の心が揺さぶられる気がする。たといそれが、自分が嫌っているジャンルであったとしても、その揺さぶられる感覚だけは多分変わらない。

考えてみると、嫌うってのは案外損なだけなのかもしれないですね。なにも嫌う必要はなかったかなあ。普通になんぼでも流れてくる曲を普通に感じて「ああいいな」と聴いておけばよかったな。この歳になって、ロックなんも知らないもんなあ。ギターも・・・




まあ、この歳で聴きはじめるのも、別に悪くはないですよね。のんびりと、マイペースでね。自分の方にやってくるいろんな音楽を、拒まずに。