心を許しあえる他人は実はいない

最近、大谷翔平の通訳だった水原一平さんが、賭博に手を出して大谷のお金に手を出していた云々のニュースが出ました。

 

その後、水原さんには、学歴詐称、職歴詐称の疑惑が新たに出てきており、火に油というか、もうどうしようもないところまで来ていそうです。

 

明日大谷さんは会見するとのことですが、いやはや、大変なことですね。だって、半年前に、1000億円を超える、プロスポーツ史上最高額の契約金でドジャース移籍が決まり、さらにご結婚と、おめでた続きだったところですから。

 

私は赤の他人のちょいファンですが、それでも今回のニュースには本当に驚きましたし、水原さん、すごくいい人に見えていたので、非常に、非常に残念でなりません。そして、大谷さんは今どんな心中で試合と向き合っているのだろうか、インスタから水原さんの写真も消したというし、どういうメンタルなんだろうかと、そして明日の会見以降、いったい彼の立場はどうなっていくのだろうかと、不安というかもやもやというか。

 

まあ、私がもやもやしてもなんの意味もないし誰も得しないし。いいんですけどね。

 

でも、人間ってのは、本質的にやっぱり孤独なもので、「親友」とか「最愛の妻」とか、本当にこの人とは心を許しあって完全にオープンでいられる、というようなものは、実はないのでしょうね。たとえ親であれ子であれ兄弟であれ配偶者であれ、他人は他人。自分ではないので、思いが通じていると思うのは傲りであるのでしょう。

 

つまり結局のところ、自分のことは自分でやらないとだし、他人とはあくまでビジネスライクに、情に流されず適切な距離を保って関係を築かないと、ダメなんですね。そして、それが結局は相手を尊重することになる、そう思いたい。