七帝柔道記

おっさんになってから柔道を習い始めた白帯です。

 

武道の心得があるわけでもなく、運動神経がいいわけでもありません。学生時代は体操部でしたが、たいした練習ではなく、体操部にしてはひょろっちいものでした。それほど頑張らなくてもできる柔軟だけは、まあまあでしたが。

 

 

そんな私がおっさんになってから一念発起するわけもなく、きっかけは息子でした。

 

息子が学校が楽しくないとか、いろいろ言われるとか言いだしたので、もしかしたらイジメにあってるのだろうかと、心配になりました。

 

そこで、なにをするにせよまず本人の心と体を鍛えようと、町道場を探して連れて行ったのが始まりです。守谷柔道塾といいます。

 

その最初の見学の時に、もうだいぶおじいさんの師範がおられて、その道着に、「北大」と書かれていたのですね。

 

私は、ああなんとこんなところで母校のはるか年上の大先輩にお会いするとはと、驚きと喜びで、ここに来たことが運命のように思われました。

 

それから数年、練習は続けていますが、まだ黒帯も取っていません。

 

そんな矢先、本屋の店先で、また同じ文字を見ることになりました。

 

 

七帝柔道記

七帝柔道記

 

 

 

著者の増田さんという方は、実際に北大で柔道部におられ、その時のことを書かれた自伝がこの本です。

 

思わず買い求めて即日読みました。

 

私が大学でのほほんとおバカなことをしていた間に、横でストイックに武道を極めようとしていた学生たちがいたんだなあと思うと、衝撃というか、憧れと言うか、ここまでひとつのことに打ち込めることのすごさと幸せとその苦労が、まとめて私の上から降って来ました。

 

戦前から続く、古い柔術の流れを組み、学生が育んで開発してきた、独特な寝技の技術と精神性を持つ「高専柔道」というものが、それまで寝技なんてつまらないと思っていた私に、この本によって価値観を180度叩きなおされたような、素晴らしいものに思われてきました。

 

よく、「柔道は一本取らねば意味がない」と言われます。漫画「YaWaRa!」でも、おじいちゃんの猪熊治五郎がそう言います。しかしよくよく考えてみると、もともとは武道であり、命の取り合いですから、どういう形であれ勝つことがまずは第一のはずで、どのように勝つのかはその次で。もっとも極論を言えば、勝つためにはなにをしてもいい、ということになりますが、それでは卑怯な手を使うのかというと、そこは武士道精神というものがあったのでしょうね。あくまで、同じ条件で、同じ土俵の上で、自分の体ひとつで命のやりとりをする。そうしなければ、たとい勝っても後ろ指を指される勝ちになり、武士道のよしとするところではないのかなと思います。

 

今の柔道のルールは、相当に寝技をおろそかにしていることは間違いがなく、そもそもはるか以前から講道館が取り入れていた、寝技への引き込みの禁止に始まり、最近はタックル禁止、さらに膝より下は持ってはいけない。そして膠着状態での待ての時間は大変に短く、抑え込みの時間すら30秒が20秒に減りました。

 

しかし、高専柔道のルールは全く違っており、そもそも待てがない、場外という概念がない、持ち時間も長く、そして15人で抜き試合の団体戦。寝技への引き込みもあり。なので、多くが寝技になります。

 

よく言われるのが、講道館柔道をやっている高段者や全日本クラスの選手でも、寝技では七帝の柔道にかなわない、というものです。すごいことだと思います。大学の柔道部に初心者が入部して、4年間でそうなるというのです。

 

そうこうしているうちに、下の本にも出会ってしまいました。

 

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか

 

 

同じ人が書いている本です。

 

道場の先生がこの木村政彦という人を大好きで尊敬していたので、どういう人なんだろうと思い、読んでみました。

 

その話は、また次に書くことにします。今日は稽古で疲れました。