相手を思いやる境地の柔道

私の子供たち3人は、守谷柔道塾という、守谷市スポーツ少年団に加入している柔道教室に通っています。少年団なんで、小学生の子供がメインですが、幼稚園のおちびもいますし、中学生で黒帯を取った先輩たちも時々胸を貸しに来てくれます。

 

私は子供の送り迎えをするうちに、なんか自分もやってみたくなって参加し始めました。40過ぎてまさか柔道始めるとは思ってもみませんでしたが、とても楽しく続けています。先生も子供たちもそのパパママも素晴らしい人ばかりで、土日の夜はお酒よりも柔道の稽古に行くのが楽しみです(笑)

 

 

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練習風景(愛宕中学校格技場)

 

柔道塾の先生は5,6人くらいいます。もうおじいちゃんくらいの歳の先生から、始めて数年ながら一般の部で試合に出るような方、講道館で学ばれた方、息子の付き合いで始めて黒帯までいっちゃったような方など、いろいろです。一番メインの先生がひとりいて、30台後半の筋骨隆々、そして自身相当な腕前の格闘家ですが、段位を上げることには全く興味がなく、黒帯初段のまま、ただただ柔道・合気道・空手・ボクシング・レスリングなどの格闘技を楽しみ精進し、そして決してそれを公言したり鼻にかけたりせず、ひたすら謙虚な方です。そして子供たちに無茶な練習を強いることもありません。子供たちは先生が大好きでたまらない感じです。このような人格者が柔道界にいるのだと感動させられるような方なのですが。

 

その先生が、今日、とても面白いことを話しておられました。

 

 

   

 

柔道は、相手を思いやらないと、良い技にならない。

 

 

 

 

力技で無理矢理投げていては、決して綺麗な掛かり方はしない、相手を感じて、その呼吸の狭間にある隙に合わせて、その時その時使える技を打つのだと。そういう意味なのだそうです。

 

しかし、言葉ではなるほどなあと思っても、体はそんな簡単に理解するわけもなく、というか、血のにじむような稽古を経てこられた先生が大人になってその境地に至るような、そんなレベルに私のような初心者がぽんといけるわけない。

 

自分で乱捕しながら、相手に技をどうかけようか、どう崩そうか、そればかり考えている自分です。相手を「感じる」というのがどういうことなのか、まずそこから始めなくてはいけないようです。

 

でも、そういう境地に達してみたいものだと、心から思います。

 

 

 

 

「感じる」といえば、ちょっと意味は異なるかもしれませんが、とても綺麗に投げられた時というのは、不思議に腹が立たないのですね。むしろ、ああ、すごいなあ、悔しいが楽しいなあ、いい技見せてもらったなあ、と逆に感謝するような気持ちになります。中学生に綺麗に投げられる自分が情けないだけかもしれませんが(笑)

 

 

 

 

ソウイウモノニ ワタシハ ナリタイ。です。

 

三浦雄一郎が、80歳でエベレストに登頂しました。私はささやかな目標ですが、60歳過ぎても柔道を続けていたいな、続けるぞ、と思いました。頑張ろう、マイペースで。