ネクラ男の挽歌〜ブラームス 間奏曲 Op.117-3


最近、ブラームスの小品、間奏曲Op.117-3を練習しています。


ブラームスの晩年の小品はどれも人気が高い名曲ぞろいですが、有名で好んで演奏されるのはOp.117-1と118-2でしょうか。


おなじ117でも、1と3とでは、1の方が人気が高いです。


私も昔は117-1の方が好きで、117-3は、


「なんちゅう暗い曲や」


としか思えず、これを好んで弾く日が来るとは思いもしませんでした。





グールドの117-3が、youtubeにありました。








ポゴレリチもありましたが、あまりにも違いすぎて全然別の曲になっています。まだ私はポゴレリチの解釈がまるで理解できていません。






私が一番しっくりくる演奏は、ラドゥ・ルプーのものです。残念ながらyoutubeにはありませんでした。グールドは若干甘め、ポゴレリチはテンポが遅すぎてよく分からない、ルプーはというと、コントラストが効いていて流れがよどみない演奏になっています。






この曲は、嬰ハ短調。全体として3つのパートに分けられます。




♪ 前半部 ♪

前半部は、静かに暗〜いです。


晩年の曲ということもあり、もうだいぶ体にガタが来て、病を得てもう余命いくばくもなく、あとは死を待つのみというような、聴いているとそんな情景です。夢も希望もありません。


たららん たららん たららららららん


と始まります。ひたすら暗く暗く、病に伏せっています。


た〜ら〜ら〜ら〜ら〜 ら〜ら〜ら〜ら〜 ら〜ららら〜ららら〜ら〜ら〜ら〜


じと〜っとして、暗い暗い日々が続きます。作曲したのは梅雨時だったか、あるいは白夜の反対で1日中夜だったかと思うような。


前半部の終りは徐々にスローダウンし、


たらら〜ん たらら〜ん たらら〜らららららららら〜〜〜〜〜〜〜んん〜〜〜・・・・・・・・・


暗いまんまに終わります。しかも低音部に重心があるところが余計に暗さを引き立たせています。このまま暗いまんまに終わりそうな、どうも救いがないような雰囲気。病でついに死んだのかと思ってしまいます。


私が最初にこの曲を聴いた時は、この部分のイメージがあまりにも衝撃的だったんですね。好きになれませんでした。ここで嫌になって、残りを聴くのをやめてSTOPか早送りボタンを押してしまっていたのでしょう。







ところが。一瞬の無音の闇の先に・・・


♪ 中間部 ♪

中間部はカラッと転調してイ長調。若干テンポも早めて、軽やかに流れるような美しい旋律。


病は消えて、若かりし頃の様々な思い出がよみがえり、まるで体も若返ったかのような、生き生きして瑞々しい情景がわきあがります。


歳をとると、若いころの苦々しい経験も全て、失恋すら美しい思い出に化けます。若いころに好きだった、あるいは今でも引きずっているかもしれない女性との、甘いかほろ苦いかわかりませんが、草原をともに駆け、海辺で戯れ、秋の紅葉の山々を二人で眺めている、そんなシーンが、左手と右手で交互にあらわれて、まるで走馬灯のように次から次へと過ぎ去っていきます。


たまに右手で高音部にぽーんと飛ぶところは、なにかもう、美しすぎて言葉になりません。


しかしそんな美しいフラッシュバックにも、終わりが来ます。







明るかった情景がセピアがかってモノトーンになり・・・


♪ 後半部 ♪

後半部は前半部とほぼ同じ、暗〜い暗〜い暗〜い暗〜い単調な嬰ハ短調が戻ってきました。


ひたすら、どよ〜〜〜〜〜〜〜んと、沈んでいきます。思い出の時間は終わってしまいました。現実に引き戻され、また余命いくばくもなくなっています。しかも・・・・救いがないまま終わってしまうのです。


最後の最後、いよいよひとしきり遅くlentoがかかって、もう人生もおしまいか、なんかいいことないのか、と言いたくなるような、最後の叫びが3度ほどあります。そこにある指示記号は、


molto e egualemente (ウィーン原典版)


平静にというような意味のようですが、ようはもう一段ゆっくり死にそうに、というような感じ。つまり、前半部とよく似ているんだけど、さらに暗〜くどよ〜んとしている。間違いなくもう病床についていて、やり残した無念を思いながら果てていく、そんな情景です。弾いていてもそれが音から自分にしみこんできて、自分も死にそうな、心から希望が消えていくような、そんな気持ちになります。


弾き終わった後、本当に、本当に、疲れるんです。緊張とかではなく、曲にエネルギーを取られるような、若さを取られるような。どっ、と疲れます。深〜いため息が出ます。







ここまで書くと、そんな暗い曲をなんで弾くのさという感じですが。





この曲はブラームスの晩年も晩年、確か死ぬ前の年に書きあげています。クララ・シューマンが死んだ年だったかです。


ブラームスはクララと結ばれることはなかったわけですが、この一群の曲をクララに捧げています。この時すでにおばあちゃんになっていたクララは「こんな素晴らしい泣きたくなるような・・・」だったかなんだったか、とにかくえらく感動したようです。泣いたかもしれません。とにかく、ブラームスは本当に、ずーっとずーっと、たとい夫婦にならずとも、歳を取ろうとも、クララを愛し尊敬していたんですねえ。


そんなウルトラネクラのブラームスが、死ぬ間際に、これまでのクララとの思い出をリフレインしながら、でももうすぐ自分は死んでしまうと感じた時に、絶対後悔したと思うんですよね。ああもっとガツガツいけばよかった、なんで俺はこんなにネクラでシャイでガンコで喋り下手で口説き下手なんだ〜、あの時こうしていれば、ああしていれば、全然違った人生が開けていたのかもしれない・・・等々。


でも結局彼は後半部でまたそのネクラの心の家に戻って行ってしまうんですね。結局オレにはムリだったんだ・・・俺の性格は変わらない、こうして後悔しながら死んでいくしかないんだよなあ・・・と。半ば自虐的になりながら。





今回はオチをつけられませんでした。私もブラームスのこういうところが好きだからです。私もネクラ族なのでよく分かります。だから、彼を笑う気にはとてもなれません。


ですが、私の理解は妄想以外のなにものでもありませんので、私の中での理解でしかなく、現実は違うかもしれませんし、他にもっと素晴らしい解釈があるかもしれません。ぜひ他の方の解釈も伺ってみたいものです。特に、バックハウスの解釈はぜひ聴いてみたかった!バックハウスは117-1はありますが、117-3の録音は残っていないようなんですね。彼の117-1は、その枯れ具合が素晴らしくブラームスの晩年っぽい雰囲気を醸し出していて、私のお気に入りの1枚です。だから、彼が117-3をどういう風に弾いたのか、とても興味があります。



若かりし頃のブラームス
若かりし頃の青年ブラームス




晩年のブラームス
晩年のブラームス





written by ユング




written by ユング