海の上のピアニスト

もうだいぶ前になりますが、「海の上のピアニスト」という映画がありました。イタリアのジュゼッペ・トルナトーレ監督、音楽がエンニオ・モリコーネのコンビで作られたものです。この二人のコンビで作られた映画にはほかに「ニュー・シネマ・パラダイス」があり、こちらも私は大好きなんですが、これとは別に、「海の上のピアニスト」も、私にとっては涙なしには観られない、お気に入りの映画です。







この映画の主人公、ナインティーン・ハンドレッドは、1900年にアメリカとヨーロッパを結ぶ定期客船の中で生まれ、誰に習うでもなく素晴らしいピアノを弾き、その生涯を船の中だけで終えます。



彼は素晴らしいピアノ・音楽の才能を持っていました。彼は敏感にまわりの様々な物事から霊感を感じ、それをピアノの力を借りて音楽として表現しました。彼の手から紡ぎだされる音楽は、ある時は抒情的に、ある時は破天荒に、そしてある時は理知的に。そんな彼の才能を非常に高く買っていた親友のトランペッター、マックスは、彼に「船を下りて音楽で一旗揚げよう」と何度も誘いますが、そのたびに、よくわからない理由を付けて断ります。彼は孤高の天才として、周囲に自分の心の内をさらけ出すことなく、周りからもその本性を理解されません。



でも、そんな彼も本当はとてもさびしがり屋さん。親友のマックスが寄港時に友人と町に繰り出すのを船のデッキから眺めながら、ひとり缶けりをし、電話帳を適当にめくっては知らない人に電話をかけて「なんでもいいからお話しませんか」本当は人一倍、人恋しい人です。本当は彼は、できるものなら船を下りて、皆とワイワイ騒いで楽しみたいと思っていたに違いありません。でも・・・降りない。



1度だけ、彼は船の中で出会った女の子に恋をします。その時に彼が弾くのが、有名な「Playing Love」という曲です。





彼女が船を降りたあとしばらくして、ついに彼は自分から船を降りると言いだします。もちろん同機は彼女でしょう。モット通りに住む彼女に会うために、彼は降りることを決断し、そして実際降ります。タラップの途中まで・・・彼の視界にニューヨークの街並みが開けます。そして彼はしばらく棒立ちになったあと、帽子を投げて踵を返します。



なぜ。なぜ彼は結局降りなかったのか、なぜ陸に背をむけたのか。私は長いことそれがよく分かりませんでした。というより、分かるような分からないような、とにかくよく分からない、という状態でした。



最後の最後、彼は久しぶりに再会したマックスに、「あの街並みには終わりがない。ぼくにはそんな大きなピアノは弾けないよ。」と言い、最後まで船を降りることを拒み、死を選びます。



なんでしょう。映画のセリフ自体は「街並みに終わりがない、そんな大きなピアノは・・・」というと哲学的でよく分からなくなってしまうのですが、最近これをもっと単純に考えていいのではという気がしてきました。



よく田舎者が都会に出て来た時に感じる違和感と言うか圧倒される感。あれと根本は同じかなという気がします。例えば、高村光太郎の奥さんは、青森県から東京に出てきて、都会の空気や雰囲気を極度に嫌い、ついに病気になってしまいます。同様に、北海道から金田一京助に連れて来られたアイヌ民族の少女、知里幸恵も、東京の都会の雑踏の中で病を得て早世します。



都心に勤務する私ですら、同じような感覚を覚えないことはありません。関東平野にひたすら広がるビル群を見ていると、ここにいったいどれくらいの人がうごめいて、どれくらいの車が排気ガスを吐き続け、ビルと言うビルの冷房室外機から熱風が吹きだされている、そんなことを考えてると、気が狂いそうに、吐きそうになります。



1900は、船の中で育ち、ひたすらピアノを弾いて生きてきました。そこには高層ビルもなく、人も限られています。その小さな世界しか知らない彼には、ニューヨークの街はあまりにも恐ろしい存在だったのかなと思います。



たまに、こういう都会に馴染めずにひっそりと田舎でマイペースに生きる道を選ぶ人がいます。そういう人を見るたびに、私はこの映画を思い出します。マックスは彼をどんなにか救いたかっただろうか。その素晴らしいピアノの才能をなんとかこの世で生きて花開かせてやりたい、どんなにか強く願ったことでしょう。でも、こういうタイプの人には、その思いが通じないんですね。



今、私はこの曲をピアノで練習しています。クリスマスに弾こうと思っていますが、ジャズは初めてなので譜読みなど非常に苦労しています。間に合うかどうか。でも、好きなこの映画のために、そして都会に馴染めない悲しい純粋すぎる芸術家のために、心をこめて弾きたいと思います。