名曲との出会い!Gillock STARLIGHT WALTZ

私40歳のころに、劇的な音楽との出会いがありました!!!

 

ギロックの、「スターライト・ワルツ」

 

ギロックベスト レベル(4) | 安田 裕子 |本 | 通販 | Amazon

 

 

難易度的には、バイエルとかは脱して、知ってる曲、好きな教を弾いてみたい、と思うようになった子が、手を出そうかなと迷うレベルの曲でしょうか。

 

私はそのレベルには達しませんが、、、でも、弾いちゃいます。

 

Youtubeで見た誰かの演奏が、最高だったんだもん!!!

 

www.youtube.com

 

会場とかグランドとか奏者のスタイルとかいっさい関係なく、純粋に、この人の弾き方、音符の解釈に仕方が、ナチュラルでかつ出過ぎず、動と静と間の絶妙なバランス、そしていざクレッシェンドとアクセルで迫ってくる感覚は、まさに心臓を直接ぎゅっと握られるような感じ。素晴らしい伝送です。

 

でも、真似はしません。この楽譜と真剣に向かい合って、楽譜がどう話してるのか、そして僕はどう弾きたいのか。感覚の世界で楽譜と語り合います。妄想のなせる業です。

 

 

そして10年ほど昔に弾いたのがこの演奏。それなりに考えはしたけど、ちょっと細部がひどすぎたかな。。。。さすがに練習不足です。

 

www.youtube.com

 

 

あと半年、しっかりピアノと向き合っていたら、後半のもたつきも派手な外しも治るだろうか。そしたら、お客さんの耳にもなにか1つくらい残るかな。。。

 

そんなわけで、もうだいぶ忘れかかっていた古いこの曲を、また練習し始めようと思いました。

 

StarLight Waltz

秋に演奏会はないけど、練習会で弾いて、みんなに聴かせたいな。少し年を取って、おっさん風味の加わったワルツを!

世代を超えてつなぐこと

私は音楽が好きです。ほかにもいろいろ好きなものはありますが、音楽はいろんな経緯があって、やっぱり一番好きなものです。

 

 

www.youtube.com

 

 

でも子供のころからずーっと好きだったわけではなく、そもそも好きとか嫌いとかもない、興味なし、から始まったし、好きになってからも、一時期好きではなくなった時もあります。なので、すったもんだの挙句、やっぱり手放せず手元に残ったものが、音楽だった、という感じです。

 

https://www.steinway.co.jp//.imaging/mte/steinway-us-theme/XL-Rectangle/dam/community/landscape/Carnegie_landscape.jpg/jcr:content/carnegie_fma.jpg

 

 

 

ただ、その手元に残ったということは、やっぱり大事なことで、自分が死ぬときまで、きっとそばにあるのだろうなと思うわけで、そう思うと、そんな趣味が1つでもあって、自分は幸せだなと思います。

 

 

そうした音楽好きの自分ですが、今ただただ悔やんでいることがあります。それは、子供のこと。

 

 

 

 

私には子供が3人。自分が音楽好きですから、子供たちにもぜひ音楽に親しんでほしいと思い、小学校のころピアノ教室に通わせました。求道的にやる必要はない、ただ音楽を好きでいてほしい、弾くことを楽しんでほしい、と、綺麗ごとの夢を持って。子供を毎週教室まで送り向かい、演奏会には親も一緒に出て、耳コピーのウルトラセブンを子供と連弾したことも。子供たちは、自ら進んでピアノの練習に打ち込むような生真面目さはなかったですけど、なんだかんだ普通に続けてくれているように見えました。でも、それは小学校までの話だったんですね。中学に上がると運動部その他の部活に入り、そちらで人間関係が広がっていく。ふと気が付くと、誰もピアノを弾かなくなっていました。少しは弾いてほしいと連弾の楽譜を作って、一緒にやんない?と誘っても、えー、なんか難しそう、、、誰も乗りません。むしろ、「実はピアノずっと嫌いだったんだよね」という、親として一番ショッキングな答えが返ってきました。

 

 

よくよく考えてみれば、自分が子供の頃がまさにそうでした。いやいやピアノ教室に通わされ、怒られながらの練習を好きになるわけはなく、そりゃそうだよね。子供はなんで自分がピアノやってるかとか考えるわけはないし、そもそも子供は親ではないのですから、好き嫌いも性格も体質も異なる別の生命体なのだから。でも、演奏会に出るというのに練習せず遊んでいる子供を見ると、ついきつく怒ってしまいました。なんでやらんの?演奏会で恥かくのオマエやで。ええ加減にしいや。いやいや、恥かくと思っていたのは親だけでした。私のメンツに子供を巻き込んだだけ?あーもう思い出すものことごとく極悪ですね。

 

 

そういうわけで、我が家の音楽好きは、残念ながら私で終わってしまいました。まあ、仕方がない。私のごり押しがまずかったのです。

 

 

www.youtube.com

 

 

 

育てる、伝えるってのは、難しい。できる人はできるんだろうけど、私はムリだ。つい短気になってしまう。育てるのは気長でないと絶対にできないな。と、つくづくそう思います。中学高校の部活で指導教師が体罰に頼って成果を出している、そんなニュースが最近多いですけど、言うこと聞かない子供を短気に怒るのは一番簡単で、怒るほうは難しいことなにも考える必要がなく、子供にとっては嫌いになる一番の近道なんだろうな。

 

 

誰にでも程度の差はあれ、同じような経験はあるんじゃないかなと思います。どういうやり方が正解なのかなんてないのかもしれません。私は次の世代に伝えられなかった。人生に2度はないし、WhatIfもないですけど、もしあったとしたら、もう少し深く考えて、違うアプローチをしたい。

 

 

今日はしんみり。しんみり。そんな日もあるさ。雨でも降ってるのか?まあいいさ!

 

 

www.youtube.com

愛を奏でて

私は音楽になんの造詣もないのに、なぜかちょっとした偶然の出会いの積み重ねで、終生の音楽友達ができました。ちょっとだけ不思議なお話。

 

 

子供のころ、父はクラシックが好きで、父が家にいるときはかなりの確率でクラシックのレコードがかかっていました。父がよく聴いていたのはシューベルトのアルペジョーネ・ソナタや、ドヴォルザークの新世界、バッハその他、いろいろでした。私はクラシックにはまったく興味がなかったのですが、父がいろいろ音楽の話をしてくれたので、否応なくクラシックに少しずつ触れていきました。

 

子供のころ、唯一私が自分から好きでたまらない曲がありました。チャイコフスキーのピアノ協奏曲第一番。聴いていたレコードは、ピアノが第1回チャイコフスキーコンクール優勝者のヴァン・クライバーン、指揮はキリル・コンドラシン。当時は東西冷戦まっただなかだったので、アメリカ人がソヴィエトのコンクールで優勝なんて!とかなり話題になったそうです(これは後から知りました)。とにかく、幼稚園のころの私は寝る前にこの曲をかけてもらって、聴きながら寝る毎日でした。冒頭のホルンが鳴ると、とたんに頭の中には広大な白銀の大地が広がり、私はそこから夢に入っていきました。

 

Amazon | チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番&ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番 | ヴァン・クライバーン | 交響曲・管弦楽曲・協奏曲 | ミュージック

 

 

 

小学校に入ったばかりのころ、ピアノの教室にも一瞬だけ通わされました。うまく弾けると楽しかったような記憶もありますが、決して練習が好きではなく、そのうち怒りっぽい先生に変わったのをきっかけにやめてしまい、結局ソナチネにすら届かずバイエルの途中でピアノとはさよならしました。

 

 

それから中学、高校と、ずーっと音楽と関わることはありませんでした。ラジオ音楽番組で流行歌を聞くことはもちろんありましたし、好きな歌はレコードを買ったりもしていました。でも、自分でその歌を歌ったり楽器で演奏する側ではなく、あくまでヘッドホンで、ステレオで、聴く側専門として。まったく、「弾こう」と思うきっかけすらなかった。

 

高3になったある時、吹奏楽部の友人が演奏会のチケットをくれました。吹奏楽部の定期演奏会。曲目にはドヴォルザークの新世界がありました。私は新世界は子供のころに聴いたことがありましたから、ちょっとだけ興味を持ち、聴きに行きました。そこで、私の友人を含めた同い年くらいの高校生たちが、あの名曲を人前で見事に演奏するのを聴いてしまいました。それはけっこうなショックでした。あ、同い年の人でこの曲を「演奏」できるんだ・・・と。

 

とはいっても、だからって自分もやってみるか、とはなりませんでしたけど、私の音楽との付き合いの1つの転換点でした。その時から私は、クラシックのいろんな曲を聴いてみよう、と、FMラジオで録音したりして、いわゆる超有名曲と言われるような、ベートーヴェン、バッハ、メンデルスゾーンショパン、など聴きあさるようになったからです。

 

 

そして、大学浪人をしていた19歳の時に、高校時代の友人ですでに大学に進んでいた友達の家に遊びに行ったとき。彼は私がクラシック好きだと知っていて、なんかいい曲あったら持ってきてと言われたので、ドヴォルザークの新世界、演奏はウィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ベルリンフィル(後に実はミュンシュ指揮の間違いと判明する)を持っていきました。フルトヴェングラーはそれこそ戦前に主として活躍した方ですから、録音は非常に古く、媒体も今はもうないワイヤ録音、フルトヴェングラーの新世界の録音があった!!と世界で大騒ぎになったものです。ただし、あまりに古すぎて音がバリバリ割れるし、私は今一つ好きではありませんでした。そのCDを友達に渡して聴かせたところ、驚くほど好評でした。これはやばい、心がショックで震えた、とまで彼は言いました。私はなんか悔しくなって、どこがよ、と話したりしていましたが、その時はやっぱりよくわかりませんでした。でも、この時以来、私の中で音楽を捉えるやり方が少し変わった気がします。ようは、上手だとか音質がデジタルでいいとか、そういうことではなく、音楽の中身、演奏者の思いや迫力、そこから聴衆に伝わってくるもの、そこに焦点がやっとあたるようになった気がします。

 

Amazon | フルトヴェングラーの新世界より(12" Analog LP) | ドヴォルザーク, フルトヴェングラー, ベルリン・フィル・ハーモニー管弦楽団 | 交響曲・管弦楽曲・協奏曲 | ミュージック

 

 

 

不思議なことに、20歳の時、私に神が訪れました。その神は、私が本屋で風の谷のナウシカの楽譜を見ているときに降りてきました。そして、この楽譜を買えと言っていました。私は楽譜を手に取って開いてみましたら、なんとなく簡単そうな音符が並んでいました。いけるかも・・・・そう思って、買いました。そして自宅でチャレンジしてみました。そしたら、なんか弾けてしまいました。

 

あれ、ピアノってすんごい練習積み重ねないと弾けないもんだと思ってたけど、そんなことないのか?もっとやったらもっと難しいのが弾けたりするんかな?

 

そこから、とりあえず弾けそうなポップス、当時私は辛島美登里にはまってましたので、辛島の曲をいっぱい練習しました。ぼちぼち弾き語りもできるようになりました。といっても、女声曲なので男の私が弾き語りは厳しいんですけどね。

 

そしてまた別の出会いがありました。大学浪人の予備校の友達。彼の家に遊びに行きました。なんと、家にアップライトピアノがあり、彼はピアノを弾くのが好きだというのです。ぜひぜひなんか弾いてくれ!と頼んだら、ショパンノクターンOp9-2を弾いてくれました。一番有名なやつです。目の前で、同い年くらいの私の友達が、ところどころミスしながらも、ショパン弾いてる・・・!!!

 

私はもうやるしかないと思いました。今まで簡単な楽譜を選んで練習してたけど、好きなクラシックに手を出してみよう。最初はそのノクターンからでした。ショパンノクターン、なんとか弾けるようになった時は、自分の人間としての価値が爆上がりしたような、不思議な気分になったのを覚えています。これで、ひとつステージに上がれる資格が持てた、そんな感じ。

 

 

そんなこんなで、大学に入った後、入るサークルとして、ピアノのサークルを選びました。みんなクラシックをバリバリ弾ける子たちの中で、初心者は私だけでした。あまりにもみんな上手すぎるので、私みたいな下手っぴがいてもいいのかな?とちょっと居心地悪い気もしましたが、みんなそんなこと何一つ気にせず、普通に接してくれる素晴らしい人たちでした。そこで私は、みんなの練習法や、世の中にいっぱい転がっているまだ私の知らない名曲をいっぱい教わりました。人生で一番自由で、そして楽しい瞬間だったかもしれません。

 

 

その時の友達は、今でもやりとりがあって、時々集まって演奏会をやったりします。でもここ2,3年はコロナで開催が難しくブランクです。年齢も50を超え、体がだんだん言うことをきかなくなってきて、音楽に心を寄せる余裕もなかなかなかった。でも、部屋のピアノのそばに置いてある、音楽友達との楽しかった一瞬を切り取った写真を見ると、ああ、また聴きたいな、聴かせたいな、と思えてきます。友達は、人生でなによりも安らぐ、宝物です。

 

 

次は、映画音楽をやろうかな。海の上のピアニスト。映画のストーリーも大好きですけど、エンニオ・モリコーネの音楽は、心にしみわたります。そんな演奏ができたらいいな。

 

www.youtube.com

 

 

鬼怒川の決壊

私が住む守谷市には鬼怒川が流れています。川の土手から500メートルくらいのところに自宅があり、川をわたる橋は滝下橋といって、とてものどかで守谷の名所に選ばれているような素敵な場所です。

その鬼怒川の増水が、まさかこんな恐ろしい結果になるなんて、思いもしませんでした。








あのとき、テレビから聞こえてきた、聞きなれない「特別警報」という言葉に、いつものとはちょっと違うぞ、と感じていました。






仕事から帰って来てテレビをつけると、栃木県に特別警報が出たところでした。画面ではかなり川が増水しているようで、うちの自宅近くを流れる川の上流は栃木県ですから、ちょっと心配だなと、その程度の感覚でした。

で、ちょっと心配に思い、滝下橋まで、見に行ってみたんですね。








f:id:noraneko_bikke:20150910223740j:plain


滝下橋近くの鬼怒川には、ちゃんとした堤防がありません。で、暗闇だったので確かではないですが、土手の上から2~3メートルのところまで水位が上がっていて、あたりには何とも言えない暗くて嫌な雰囲気が満ちていました。ドー・・・・・というような不気味な低周波が聞こえていました。

その翌日、滝下橋から上流に10kmくらいのところで、あれが起きたのです。

当事出勤して東京にいましたが、ネットのニュースで映像を見て、家と家族が気がかりで何度も電話していました。









今日はそのよく翌日。

被災され、今でもまだ孤立して救助を待っておられるかたがいるようです。

そして、連絡のつかないかたも。

大変なことになってしまいました。

常総はとても柔道が盛んなところで、私の子供たちも何度も常総の大会に参加させていただいています。けれど、この状況ではなかなか厳しいのではと思います。

参加者の父兄でできることがあるなら、手伝いたいと思っています。










今日は久しぶりに朝から青空が広がりました。

被災されているみなさんにも、早く青空が広がりますように祈っています。


f:id:noraneko_bikke:20150912070506j:plain

素敵じゃないか!

Wouldnt it be nice

 

という、ビーチボーイズの歌があります。

 

映画「陽だまりの彼女」の中で使われている歌です。

 

私はこの映画で初めてこの歌を知りました。

 

 

 

www.youtube.com

 

 

いい歌ですねえ。付き合っている彼女との結婚を考え始める頃の、ワクワクする気持ちを思い出します。

 

こういう、誰もがその年になれば経験するような、平凡でなにげない日頃のわくわくを歌詞にして歌う歌というのは、聴いていて気持ちがいいですね。

 

この歌のタイトルを、映画の中では「素敵じゃないか」としていました。

一般的にそうなのでしょうかね。

 

 

Wouldn't it be nice

 

「素敵」という言葉は普段めったに使わないですけれども、それを「~じゃないか」と親しげに言うことで、ちっとも恥ずかしくなく「素敵じゃないか!」と自然に言えますね。

 

このタイトル訳こそまさに、素敵ですね!!

 

 

 

いつか、この歌を家族か友達と一緒に歌ってみたいなあと思いますが、バンド仲間の男性ボーカルがちょっと足りないかなあ。戻ってきてくれないかなあ。

 

 

 

ラフマニノフ 交響曲第2番~希望の光~

ラフマニノフ交響曲第2番、第3楽章。

 

たまにドラマでも使われています。

 

和久井映見と岸谷五郎主演の「妹よ」の挿入曲としてあちこちに登場していました。

 

 

 

まあ、あれはドラマの内容にしては贅沢すぎる選曲な気もしますが。

 

でも、選んだ人はいい選択をしたなと思います。

 

 

www.youtube.com

 

 

 

ラフマニノフうつ病だったというのはみんな知っていると思いますが、この曲は、うつ病を乗り越えて、精神的に良い状態の頃に作曲されたものです。

 

当時ラフマニノフ33歳。

 

ピアノ協奏曲第2番などとほぼ同時期です。

 

ラフマニノフがどれだけ苦しんだのか想像もつきませんが、当時のロシアの音楽界の中で、様々な葛藤に打ちのめされて傷つきどん底に落ちた彼が、彼の音楽を愛してやまない多くの人々の助けによって自分を取り戻し、輝きはじめた、その様子がうかがえる気がします。

 

 

第3楽章が一番有名だと思いますが、4楽章からなりますので、ぜんぶ聴くと、なんとなくその流れが感じられます。

 

1楽章の暗さがあるから、3楽章で救われて、終楽章でめでたしめでたし、という感じでしょうか。

 

だから、陰鬱とした1楽章も、私は大好きです。

 

辛かった時、救いの時。

 

自分を構成する全ての時間とものごとに対して、すべて受け入れて肯定してくれている。

 

この世にある全ての人々に等しく降り注ぐ希望のような、そんな曲です。

 

だから、やはりこの曲は、シューボックスではなくワインヤードのホールが似合います。

 

 

 

なんとなく自分を否定したくなるような精神状態になった時には、この曲を、1楽章から終楽章まで通して、聴いてみてください。

 

 

 

グリーグ ホルベアの時代から~

年に一度、友達のピアノ仲間が集まる演奏会「アフタヌーン・ピアノンノ」に出てきました。私が弾いたのは、グリーグの「ホルベアの時代から」という組曲の序曲。もともとはピアノ曲として書かれたのですが、その後管弦楽用に書きなおされ、そちらのほうが有名になってしまいました。

 

 

 

 

細かい曲の背景はwikipediaなどになんぼでも載っているので書きませんが、私のイメージは、鳥のように空を飛びました。

 

まず最初に地面を蹴って滑走。スピードに乗って、ふっと宙に浮いたら、もうあとは大空へ急上昇!風に乗って右に左に急旋回!

 

と思ったら急にふっとエアスポットに入って急降下!頑張って羽ばたくけれどまたエアスポットに入って急降下!こんどは持ちこたえられずにそのままフィヨルドの海にぼちゃん!!

 

フィヨルドの海の中は青く暗く神秘的。そして透明。暗い透明な洞窟の海の中を泳いで行くけれど、その先に光が!さあまた加速して加速して・・・・・・海の上に飛び出した!!!

 

高く飛び出して、また大きく羽ばたいて羽ばたいて急旋回、急加速。そして旋回しながらぐんぐんぐんぐんぐんぐんぐんぐん上昇気流に乗って上がっていき、フィヨルドのはるか上に望み、ふっと展望が開けて遥か遠くを眺めます。そして、終わり。

 

 

 

実際の演奏は、こんな感じでぼろぼろだったけど、自分のこの時の力を出し切ったのは間違いないかな。悔いはありません。でも、レパートリーにするにはちょっと厳しいから、もう少し練習を続けようと思います。イメージをもっと形にできたら、もしかしたらまた演奏会に出すかもしれない。でも、今回はとりあえずこれでいい。

 

 

 

 

 

ひとつ学んだのは、仕事や家族や自分の体調などがある程度余裕がない状態では、あまり技術的にハードルの高い選曲はしないほうがよい、ということ。

 

生ピアノでは夜は音出せないので練習できない。仕事が忙しい時にはほとんど練習などできない。そんな状態で難しい曲に挑戦しても、曲を無駄にしてしまう。

 

やはり音楽に対する心持に温かさがないとだめだ。自分が伝えたいものが自分のためではなく他人のためであり、他に対する想いをこめて弾く。今回のこの選曲は全然違った。自分の好きに任せて「どや!」というような気持ちだった。

 

もうひとつ弾いたのはやはりグリーグの「ゆりかごの歌」。晩年のグリーグが、夭逝した自分の娘への想いを歌った曲。自分はこれに震災への鎮魂のイメージを込めて、ゆったりと弾いた。それは自分で弾いていて不思議に落ち着く曲だった。やっぱりこういうのが自分にあっているんだろうな。